第2回 チモイ窯の器の魅力 ーチモイ窯を訪ねてー
2025.05.29
第2回 チモイ窯の器の魅力 ーチモイ窯を訪ねてー

5回の記事の目次:チモイ窯の器の魅力
- 第1回 チモイ窯の器
- 第2回 チモイ窯を訪ねて
- 第3回 和どころ みやざわ様
- 第4回 LAMP様
- 第5回 和の食いがらし様
栃木県・益子の地で営まれる「チモイ窯」は、青木瑞晃さんと由美さんご夫妻が手がける窯元です。瑞晃さんが器を作り、由美さんが営業を担当するという二人三脚のスタイルで、地方の旅館や都内の料理店に向けて、日々器を届けています。
器の背景にあるのは、瑞晃さんが経験してきた、陶芸とは異なるさまざまな仕事や出会いと、直感、そして濃密な師匠との時間。本記事では、瑞晃さんの語りをもとに、器づくりの背景やこれまでの歩みを紹介しています。
※本記事は、青木瑞晃さんの語りと、現地での取材内容をもとに編集しています。
念願のチモイ窯、ようやく訪問できた



折峰
今日はどうぞよろしくお願いいたします。雰囲気が…いいですねえ。
瑞晃
よろしく。まあまあ座って。お茶淹れるから。

折峰
おすすめの蕎麦をご馳走になってきました。瑞晃さんも蕎麦が好きなんですってね。
(窯に向かう前、由美さんに瑞晃さんおすすめの蕎麦屋さんで蕎麦をご馳走になった)
瑞晃
高校の入学祝いの時、上野にある蕎麦屋に連れて行ってもらったんだよ。蕎麦なんてそんな好きじゃなかったんだけど、そこの蕎麦を食ったら美味くてびっくりしてさ。蕎麦ってこんな美味いもんなのかって思って。「たくさん食べていい」って言われたから何枚もおかわりしてたら「そろそろやめとけ」って言われて(笑)。そこから蕎麦が好きだね。

折峰
体も大きいしたくさん食べそうですもん(笑)
瑞晃
そこから大学に入ってからしらみつぶしに蕎麦屋に行ったんだよ。
あるときタウン誌の記者に「お前、蕎麦好きなのか、どこに行った?」って聞かれて答えてたら、あそこに行ってないのか、って、家の近くにある蕎麦屋の名前が出されて。おれはそこには行ってなかったんだよ。近いのに。それで行ってみたら美味くてさ。

由美
お昼に何食べる?って聞くと、「蕎麦」。次の日も「蕎麦」その次の日も「蕎麦」。だからもう聞くのやめました(笑)
どんな仕事も舐めたらいけないすごい職人技術がある
瑞晃さんは元々、東京の中野出身。父親は東京藝大を出て、工業デザインをしていたそう。三兄弟の真ん中が瑞晃さん。長男さんはお父様と同じような仕事をされ、三男さんはイタリアンの料理人。瑞晃さんは高校を出た後、いろいろな仕事をしてきたという。

瑞晃
いろいろやったよ。あるときでっかいエンビ管を扱う工場で働いてたんだけど、物がでかいから、みんなフォークリフトで作業するんだよ。そこでのフォークリフトはさ、全部ドリフトなんだよ(笑)。ドリフトしながら、積む場所にフォークがピターっと止まって合わせるんだよ。それを見たとき、すげえな。どんな仕事も、ものすごい職人技ってあるんだな。舐められないなって思ったね。
由美さんとの縁
折峰
由美さんとはどちらで知り合ったんですか。
瑞晃
仕事場だよ。港の倉庫にエルメスとかそういうブランド物が全部集まる所があって、その倉庫の仕事をしてたんだよ。そこで知り合って。
折峰
由美さんもそこで働いていたんですか。
瑞晃
こちらはおれらを管理する人(笑)。

折峰
じゃあ瑞晃さんはバイトで由美さんは社員という?
由美
そうです。なんか変わってる人だなと思ったのが第一印象でした。
瑞晃
なんかいつも忙しくやってるんだよ。難しい顔してさ。それで「なんでそんな怖い顔してやってんのー」なんて半分からかうみたいに話しかけたりしてさ。「もっと気楽にやればいいのに」とか言っててさ(笑)
折峰
それでなんでまた?
由美
私は早くに親を亡くして、誰に何を言われなく気丈に生きてきたので、こんなふうに言ってくる人は初めてで、こういう人は私に必要なのではと思い始めたんです。
折峰
いい話ですね。

陶芸との出会い
折峰
そういうバイトの生活から陶芸家になるってどう繋がっていくんですか。元々陶芸に興味があったんですか。
瑞晃
全くなかったんだよ。陶芸のことなんて全く知らなかったからな。
折峰
何かあったんですか?
瑞晃
正月に当時住んでいた松戸の通称「あじさい寺」に初詣に行って、寺の外に「あじさい」という喫茶店があって。そこで食事をとることにした。寒かったのでおでんを注文してそのおでんについてきた小皿を見たときに、背中に電気が走って動けなくなった。
店主が「何か感じるのか」と聞くので、
「金縛りで動けない」と言ったら、「占ってやろうか」と聞いてきた。
カウンターの上を見ると“占い1万円”と書いてある。「金がないからいいです」と言うと「タダで占ってやる」と言う。
聞かれたことに答えると「お前、焼物に向いてるよ」と言われた。

折峰
それで始めたんですか?
瑞晃
いやそれで、なんかその言われたことが妙に引っかかって、頭の中に残ってたんだよな。その頃恵比寿で情報処理の仕事をしてたから、その会社の電話をこっそり使ってタウンページで陶芸関係の会社見つけて片っ端から電話して、休みの日に会いに行ったんだよ。その際、一軒に「そんなに陶芸がやりたきゃ産地にでも行ったらどうだ」って言われてさ。それで益子で仕事がありそうだってなって、行ったんだよ。
折峰
それがいつですか。
瑞晃
1993年頃だね。


陶芸教室での第一歩
益子に来て観光客相手の陶芸教室で働いていた瑞晃さん。教室に来るプロの技術を見よう見まねで盗んだりと徐々に陶芸の世界に入っていく。
瑞晃
産地だから陶芸家や職人も陶芸教室に遊びに来るんだよ。でも「技術を見せてくれ」と頼んでもやりたがらないんだよな。それでも教室にお姉ちゃんがいるじゃん。そのお姉ちゃんたちが、『見た〜い、ぜひやってみてください〜』なんて黄色い声を出すからさ、『じゃあ少し』みたいにやり出すわけ(笑)。そういうところを見たり、個展会場に行ったりして研究していたよな。
陶芸教室で3年ほど働いたとき、ある有名な窯元の先生の所に行くことになる。
師匠との出会い
別の仕事場で知り合った友人が、その先生に弟子入りすることになった。そこは誰が行ってもお茶が飲めると教えてくれたので、あるとき行ってみた。そこで細工場に通されて、囲炉裏のそばに座り、点ててもらった抹茶を飲んで、そこら中を見渡した。若い弟子がたくさん在籍していた。そこで、そろそろ独立を考えていた自分の耳に、青臭い芸術学生のような会話が入ってきた。見渡すと弟子たちの練習している作品が目に入ってきた。それは、職場の陶芸教室のお客さんの作品と比べてもさらに下手に見えた。すると先生はその作品を、「〇〇さんはまだ売り物を作っている」と評した。それが、おれの耳には何か茶化しているように聞こえた。
「先ほどから話している話がちんぷんかんぷんなので、何か仕事を見せてくれませんか?」と言った。すると先生は、「じゃあ、明日早い時間に来い」と言った。翌日、職場での朝のお茶の時間を抜け出し、先生の細工場へ向かった。前日とうって変わって、囲炉裏の周りには誰もおらず、みんな作業台の上で粘土揉みをしていた。先生の後ろに立って、その粘土揉みを見て驚かされた。当時自分では、20キロくらいの粘土を揉めるようになっていたが、先生が揉んでいる粘土は優にその倍を超えていた。しかも、大きいだけじゃなく、揉んでいる粘土が、手でちぎって、口に入れたくなるほどふわふわで美味しそうに見えた。自分も3年間毎日粘土を揉んできたが、粘土を美味しそうに思ったことは一度もなかった。これは相当いい粘土を使っているんだろうと思って、先生が手を休めたときに、どんな粘土を使っているか聞いてみた。すると、陶芸教室で使っているのと同じ、益子で一番安い粘土だった。
弟子入り
午後にもう一度行って今度は轆轤を引くところも見学した。益子は産地なので名人と呼ばれる人が何人かいる。その技術を見てきたので特に感動はなかった。ただ粘土揉みだけは習わなければいけないと感じた。その先生の所に弟子入りしようかと考え、周りに相談すると、「あの先生に習うと売れない」「下手になる」「弟子入りを待っている人が何人もいるので何年も待たされる」など、賛成してくれる人は誰もいなかった。初夏の頃、直接弟子入りを頼みに工場を訪ねた。
その日はちょうど窯焚きの次の日で、細工場には弟子が誰もいなかった。先生に「弟子入りさせてください」と頼んだら、あっさり「いいよ」と言われた。「いつからいいんですか」と聞き直すと、「いつからでもいいよ」と先生は言った。そこで、「何年も待たされている人がいると聞いたんですけど」と言うと、 「そういった人は何年でも待たせておくんだ」と先生は答えた。こちらがわからないという顔をしていたら、「ああいった人たちはここで習わなくても、 よそで役立つ人たちだから入れないんだ。でも青木さんはよそで役立ちそうにないから入れてやるんだ」と言った。
師匠はすべて見抜いていた
入門して最初は粘土揉みからだった。ただ、始まってすぐに、「青木さん今日は轆轤を挽いてみましょう」と師匠に言われた。普通は何か月も粘土揉みをしてから轆轤に移るのだが、なぜかおれはすぐに轆轤を挽かせてもらえた。「何を挽きますか」と聞くと、「筒花瓶を挽いてみろ」と言われた。蹴轆轤(けろくろ)を使うのは初めてだったので、轆轤が止まることに衝撃を受けながらも、必死に一つ挽き上げた。すると、「さすが3年やっただけのことはある」と褒められた。 「もう一つ挽いてみましょう。次は薄くしないで」そう言われて頭の中がパニックになった。それまで自分が習ってきた轆轤の技術は、なるべく少ない手数で、薄く、軽く、均等に挽き上げるものだった。薄くしないで轆轤を挽くということは、足を動かさないで歩くに等しいことだった。しかし、言われたからには、やらざるを得ないので、轆轤を挽くんだが、挽こうと思って力を入れると薄くなる。 薄くしちゃいけないと思って力を抜くと土が逃げる。散々悪戦苦闘して「できません」と降参すると、「なんだ3年やっても大したことないな」と師匠は言った。新参者にいきなり「轆轤を回せ」という師匠の言葉でピリついていた細工場の中に、兄弟子たちの爆笑が響いた。
すでに結婚をして子どももいたおれは、誰にも言わずに粘土揉みをマスターしたら辞めるつもりだった。師匠はなぜかそれを見抜いていたようだった。ここには自分の知らない技術体系があることに気づいたおれは、腹を据えて最後まで習う決心をした。師匠は、「青木さん、また粘土揉みから始めましょうか」と言い、おれは「はい」と答えた。
教えない
基本、師匠は自分の仕事をするだけで、弟子には教えない。兄弟子に手順だけ示してもらって、あとは自習するという形だった。師匠がOKを出すと、次の課題を兄弟子たちに手順を示してもらって、また自習をしていく。手順の意味を自分で考えて工夫していると、「ああ、こういう感じかな?」とひらめくときがある。そういうときに前を向いているはずの師匠が、「青木さん、いいのできたかい?」と、まるで背中に目があるかのように声をかけてくることがあった。「どうだ、青木さん、面白いかい?」と聞かれて、おれが「面白いです」と答えると、師匠は上機嫌でおれが作ったものを見ずに「それでいいんだ」と言ったものだった。
身につけていたものを、惜しげもなくすべて捨てられた
それとは対照的に、兄弟子が図録に載っているような壺を真似て作っていると、「お前の手から李朝が生まれるとでも思っているのか」と、こっぴどく叱っていたものだった。師匠は口癖のようにこう話していた。
「轆轤をゆっくり回せ」
「土を伸ばすんじゃなく動かすんだ」
「うまく作ろうとするな」
「できたなりでいいんだ」
そのどれもがおれにはしっくりときた。
おれの轆轤は囲炉裏の側で、訪れるお客さんから一番近い所にあった。9月に弟子入りし冬になった頃、あるお客さんが訪ねてきた。おれが轆轤に悪戦苦闘している姿を見て、
「この人は長くかかりそうだね」
と師匠に言った。師匠は、
「青木さんけ、青木さんは春風の吹く頃だ」と答えた。
お客さんは、こんなに下手くそなのに、という顔で納得していないようだったが、結果的におれは5月に卒業した。普通でも2、3年、長い人では5年くらいいる人もいたから、おれは9か月でだいぶ早い方だった。
思うに、おれは自分が身につけていたものを、惜しげもなくすべて捨ててしまったから、順調に新しいことを身につけることができたんだと思う。それができなかった人は、時間がかかったようだ。






チモイ窯が始まる
晴れて師匠の所を卒業して独り立ちとなった瑞晃さんは、今の場所でチモイ窯を始めることになる。

折峰
「チモイ」というのは何か意味があるんですか?
瑞晃
おれも由美も犬を飼っていたわけ。その時飼ってた犬の名前が、「チー」と「モイ」っていう名前で、それで繋げて「チモイ」
折峰
そう言うことだったんですね。
「練」「挽」「焼」「快」のマークはどんな意味があるのですか。
瑞晃
仕事を始めたばっかりの時に、自分の仕事を表すマークを作ろうと思ったんだよ。朱色で書いてあるのが「器」の字で、粘土を練る、轆轤を挽く、窯を焼く、そのどの仕事の中にも、心地いい部分があるわけ。
粘土も最初固かったり柔らかかったりするものが混ざってきていい感じになってくると心地がいいし、轆轤もそうで、土がよく揉めて轆轤がよく動いて最後形になっていくと心地がいい。窯焚きもそう。窯焚きの日は疲れの絶頂なんだけど、十分準備して、順序をちゃんと立てて、窯の温度を上げていったときに窯の熱が溜まりに溜まって、力がこもってきて吹き出すような感じになってくる。その時は見てて気分がいいんだよ。
登り窯
細工場を建てて窯を作る時に、いろいろな業者で見積もりを出してもらったら、自分にとって大変な金額が出てきた。師匠が将来を見越して窯づくりを教えた兄弟子に相談したところ、業者の見積もり額の数分の一で、登り窯を造れると言われた。
自分では登り窯を持つつもりは全くなかったが、条件が整い登り窯を作ることになった。いろいろな情報を仕入れる中で、昔は手作りのレンガを使ったと聞いて、自分の登り窯もアーチの部分にはレンガを手作りして使った。
2004年に初窯を焼き、窯を焼くたびに手を加えていったが、この窯の性能を完全に引き出せたのは、東日本大震災で窯が崩壊し、それを直した後だった。
東日本大震災で壊れた窯を見た時は、どこから手を付ければいいのか皆目わからなかった。
しかし師匠のところに相談しに行ったとき、かつて一緒に窯を作ってくれた兄弟子が師匠の窯を修理する姿を目にし、「これならおれにも出来そうだ」と思い再建に取り掛かった。崩壊した際、この窯の欠点だと思っていた部分が剥き出しになっていたので、自分なりにそこにしっかり手を加えた。結果、窯のポテンシャルを十分に引き出せることになった。






追いつけない師匠

おれもひと窯、ひと窯、成長していくわけで、よくなってきてるっていう実感もあるし。
それで師匠に追いついたかなと思って細工場に行くと師匠はもっと先に行って離されてる。
作品が老けないわけ。師匠はおれたちがやんちゃしたなあ、なんていうことの、遥かに通り越えるやんちゃをするわけ。仕事はどんどん暴れん坊になっていくわけ。
おれがいない時に師匠が細工場に来たことがあったんだよね。おれが後日、師匠の所にお茶を飲みに行ったら、
「この間、青木さんとこ行ったんだよ。青木さんが作ってんの勝手に見させてもらったんだけど、あの花瓶のあれいいな」
とか言ってね。
「ああ、青木さんはもう新しい技術の開発をしているね」
っていうのがあったよ。
弟子の中には習った通りのままやってます、という人もいるわけよ。でも師匠からすればね、師匠自体がどんどん変わっていってるのに、あの当時のままやるってことはありえないわけで。
だからおれみたいに、新しいものを作るために一つ技術を開発して、どんどん離れていく。そういうのを見てる方が、(師匠は)多分楽しいんだよね。
「あの花瓶は青木さんうまくやったな。おれもやってみるわ」って言って、おれよりも遥かにすごいの作るわけ(笑)
おれたちの時代ってもうみんなが競うようにさ、「おれはこれを作った」「おれはこういうのを作った」っていう時代だから。師匠はあの時すごい楽しかったと思うね。
喧嘩しても手を出さなきゃ、いくら喧嘩してもいいって。手を出したら破門だけど。
「お前の土は揉めてない!」
とか言って(弟子たちが)喧嘩を始めるわけよ。
「何が揉めてないだ!揉んでるよ!」
「お前の土は固いんだ!」
「固くても揉めてるんだ!」
そしたら師匠が、
「素晴らしい。今のは素晴らしいぞ。柔らかくても揉めてない土もあるけど、固くても揉めてる土がある。これは素晴らしい」
とか言ってね(笑)
ほんとに面白かったんだよ。



開けられなかった師匠の引き出し
師匠は教育者になったらどんだけ素晴らしいかと思って。人に染み込むようなことを言うんだよね。
何回もあったな、そういうことが。
昔胃がんやってたから60まで生きると思わなかったって言って、72まで生きたね。震災の次の年(2012年)に亡くなって。
師匠は新しい技術を発見すると研究会みたいなものをやるの。古い人たちを集めてみんなで同じ課題をやって。そういうのを何回かやったんだよね。茶碗をやったり、皿をやったり。
それで師匠はさ、ものすごい引き出しがあるわけよ。だからその習ってるおれたちのレベルに応じて出してくるわけ。
あの時はね、おれたちがね、下手すぎたわけだから。師匠がもっと見せられたものを全然見せられずに、今はこれを見せても無駄だからって。そういうのがあったはずだよ。
だから今、師匠が生きてたらね、どういったものを見せてくれるだろうって。そういう引き出しをね、開けられなかったなっていう、そういう思いがある。
茶碗一つとっても、多分すげえ面白かっただろうなって。



空間に作用する不完全な器
師匠が技術のことを話してるときに「技術は窒息する」という表現をしたことがあった。
1つの仕事を長いことやっていると、同じところをぐるぐる回るようなことが起こる。
その時に重箱の隅をつつくように技術を完成させてしまうと、その後は同じことの繰り返しになってしまう。
それが「技術は窒息する」ということだと思う。
重箱の隅に何か残っていれば、一周してきても、また新しい何かを付け加えることができる。そうしていれば、何周も同じようなところを回ったとしても、常に新しい仕事ができる。
器も同様で、大手の陶器店を見れば非常に完成度の高い、寸分の隙もないような器がいっぱい並んでいる。
それを飾りに使うのであればいいが、器として使ったり、花器として使おうとすると、完璧な器にとって料理や花は邪魔になる。だから器も花器もどこか物足りない、まだ何か不完全な部分がなくてはいけない。
つまり、器にそういう余白があって初めて、器に料理を盛ったり、花器に花を生けたときに、それが力を持ち、空間や目の前の人に何かを与え得る可能性が生まれる。
次回予告
第3回 和どころ みやざわ様
第3回は実際にチモイ窯の器を使っている東京、瑞江にある料理店「和どころ みやざわ」様を訪ねお話を聞きました。縁がつながっていき、チモイ窯を使うに至った経緯がとても魅力的です。ぜひ読んでみてください。
目次:チモイ窯の器の魅力
第1回 チモイ窯の器
第2回 チモイ窯を訪ねて
第3回 和どころ みやざわ様
第4回 LAMP様
第5回 和の食いがらし様
器についてのお問い合わせ
チモイ窯
〒321-4212
栃木県芳賀郡益子町上大羽2170
Tel:0285-72-8125
E-mail:chimoistore@gmail.com
Webサイト:https://chimoi2000.wixsite.com/chimoi-gama/chimoi-gama
オンラインショップ:https://chimoi.stores.jp/
インスタグラム:https://www.instagram.com/chimoigama/
折峰本社で展示しています
「第1回 チモイ窯の器」の記事でご紹介した器は、5月19日(月)より折峰の本社にて展示しております。ぜひ実物をご覧ください。
※折峰では販売はしておりません。ご購入の際はチモイ窯から直接お買い求めください。
※お越しになる際は事前にお電話でご予約をお願いいたします。
折峰本社
〒135-0005
東京都江東区新大橋1-5-10
Tel:03-3633-1207
月~金:9:00-16:00 (祝日は休業)
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