人形町きく家様がお土産を作り続ける理由
人形町の裏路地に入ると古い平屋の建物が残り、料理屋が軒を連ねる何とも情緒のある一角。そこに、創業から43年、人形町きく家様はあります。
今回は人形町きく家様がお客様にお土産をお渡しし続けているのはなぜかをお聞きしたいと思い伺いました。
親方のお父様は大工だったそうで、親方もこの建物を大工さんと一緒に作ったそうです。
骨董市などで見つけてきた建具など。
廃業した和菓子屋さんからいただいた江戸時代の船板の看板をリメイクして。
午前10:30
きく家様に到着するとすでに仕込みは始まっており、若くて爽やかな若者四人がテキパキと働いていました。
程なく女将さんが現れご挨拶。
さっそくお店のことお土産ことなどをお聞きします。
-まず、お土産をお客様に渡す事になった経緯を教えていただけますか。
お土産は当初、最後のお食事を「食べきれない」とか「持って帰っても食べられるかわからない」
という方もいらっしゃったので、その代わりにと、忠三桜本舗さんと福どらさんに、甘みを控えめにしてもらったものを作ってもらいお渡ししていました。
最初はそのどら焼きだけだったんですが、お家でお待ちになっているご家族にも何か、と思って「ちらし」をお渡しするようになったんです。
接待の席などで、お客様同士でのお土産のやりとりは要らない、という場合もありますが、手ぶらでお帰り頂くのもなぁと、お店から皆様に、という形でお渡ししたりすることもありましたね。
お客様との距離が近くなる
うちにはお土産があることを知っているご家族が「今日、きく家だ」って聞くとご主人への待遇が違ってくるそうです。(笑)
ご主人は、持って帰ってお風呂に入って出るとお土産が影も形もなくなっているから、実際、何が入っていのるかあんまり知らないって方もいらっしゃいます。(笑)
あと、たまに「娘が里帰り中だから」と二つ頼まれることもあったり。
そういった普段の接客だけだとお話しできないご家族のことなども、このお土産を通して話していただくことも多いんです。
喜ばれるかな
-資材などにもそれなりにコストもかかるわけで、今までやめようと思ったことはないんですか。
今のところはないですね。
真夏には気をつけようとは思ってはいますよ。
まあ、
(お土産は)喜ばれるかな...
お土産づくりの作業
紙経木を上下に敷く。
18cmのお土産用箸もセットし完成。
-容器なんですが、現在この竹貼容器に定着していますが、(過去には杉折、桐箱、すだれ折などをお使いいただいていたこともある)使いやすいですか?
そうですね。
使いやすいかな。あとお客様から、「これ、うちの妻が洗って小物入れにしているんだ」とか、「妻が外国人に料理を教えていて、この容器がものすごい喜ばれるんだ」なんて聞いてます。
それで、お分けしたこともありますよ。外国人には珍しいみたいですね。
持ち帰るのにも軽いのはいいですよね。
-またこの手提げもすごくいいですよね。
実は装丁家、菊池信義さんにデザインしていただいたんです。
色や紙質も変えたりしながら、現在は黄茶に落ち着いている。
コース料理という形もお客様から生まれた。
その当時まだ、店もまだ半分の時代、一品料理しかやってなかったんですよ。
某有名企業の偉い方が足繁く通っていただいていて、その方が「任せるからつくって」って。その当時3,500円くらいだったかなあ。その方だけにコースの形で出してたんです。そしたら頼まずにも料理が出てくるから、そのお客さんが帰ったあとに他のお客さんが「今のなんだったの?」って。「いや、お任せで出す事になってて」って言うと「じゃあ今度俺たちもそれで出してよ」って。
そんなことで、コース料理を出してみようかってなって今のようになったんですよ。
現在のコースの値段も紙手提げをデザインしていただいた菊池さんからの提案なんです。「このくらいの値段がいいんじゃないかな」って。
自分たちではお客様にどう見られているというのは中々わからないんですよね。ただ、そう感じていただけるならその値段にチャレンジしてみようかなと思って今に至るんです。
お客様との話はほんとに重要ですね。
取材を終えて
話は尽きず、今も昔も忙しくも楽しんでいたという女将さん。
取材して思ったのは、すべてお客さんの話をターニングポイントとしていらっしゃることでした。
また、お土産を
「喜ばれるかな」
と静かに語った女将さん。きく家様の原点はここに尽きる気がしました。
「喜んでほしい」
という気持ちが女将さんから溢れ出ていました。
今回のお土産でお使い頂いている弊社の在庫商品です。